その他の写真を見る (1/3枚)
滋賀県米原市の琵琶湖岸付近に「七夕伝説」の残る地域がある。「天野川」という名の川をはさんで、「彦星塚」と呼ばれる石造の宝篋印塔(ほうきょういんとう)と、「七夕石」と言い伝えられる自然石が、それぞれ両岸の神社に祭られている。天文研究者は「天野川を『天の川』に見立て、彦星塚を牽牛星のアルタイルに、七夕石を織女星のベガとして配置したのではないか」と指摘。13日には、七夕石のある蛭子(ひるこ)神社(同市世継)で短冊祈願祭が営まれる。
彦星塚は、天野川左岸の朝妻神社(同市朝妻筑摩)にある高さ約1・9メートルの石造宝篋印塔。七夕石は、右岸の蛭子神社にある高さ60センチほどの自然石をそのまま置いたとみられる石塚。2つは、川をはさんで約500メートルの距離にある。
蛭子神社に残る縁起によると、蛭子神社がかつて「世継神社」と呼ばれていた頃の祭神は雄略天皇の第4皇子・星川稚宮皇子(ほしかわのわかみやのみこ)と、仁賢(にんけん)天皇の第2皇女・朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)。平安時代初期に興福寺の僧が2人を合祀したとある。また、彦星塚を星川稚宮皇子の墓、七夕石を朝嬬皇女の墓とする言い伝えもあり、天野川という川の名前などもあって、この地に七夕伝説が生まれた。
天野川を天の川に見立てると、星空のベガとアルタイル、地上の蛭子神社と朝妻神社の位置は、左右逆の「鏡像」の関係にある。