プロとして能の舞台に立つ女性能楽師の数は決して多くありません。能は公演期間も短く世の中に認知されにくいことが背景にありますが、能楽界はもちろん国からも公式に認められている存在です。
私自身、祖父(鵜澤雅)、母(鵜澤久)と2代続く能楽師の家に生まれました。観世流は女性能楽師が最も多いですが能が男性中心の世界であることは間違いない。母も自らの経験を踏まえ、性差がハンディにならない配慮をした指導をしてくれたと思います。
都内で祖父母と同居し、家に稽古場もあるので、物心ついたときには能と大人に囲まれていました。一人っ子でしたし、祖父や母がお弟子さんのお稽古をしている側で、育ちました。
最初の記憶は2歳。母が私を背負い、(「道成寺」の)乱拍子の稽古をするのを見て、背中越しに「お母さん、変わったことしている」と思った風景(笑)。母が汗だくで不快でした。
そのうち謡(うたい)を耳で覚え、自然と稽古も始まった。ただ、孫かわいさで褒めてばかりの祖父とは対照的に、母の稽古は厳しかった。母は「女の子だから」と祖父になかなか稽古をつけてもらえず、それが悔しかった。同じ思いを私にはさせまいとした母に、今は感謝しています。しかし、当時はよく泣きました。(談)
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11日午後2時から喜多六平太記念能楽堂(東京都品川区)で催される「鵜澤久の会」に出演。女性の地謡(じうたい)による「卒都婆小町」(シテ野村四郎)など。(電)03・3782・0708。