戦後70年

血に染まった乳母の顔、銃弾・砲弾の嵐…西宮在住ラストエンペラー血族の回想「多くの人に守られ生かされた」

 一方、福永さんは日本にとどまって帰化し、日本人の実業家と結婚して大阪や兵庫で5人の子供を育てた。溥傑と浩は1972(昭和47)年の日中国交正常化以降に日中親善のため何度も来日し、浩は福永さんに「物がなくなっても惜しむことはない。人の心と自分の命を大切にするように」と繰り返したという。

 平成25年10月、福永さんは兵庫県西宮市の自宅で保管していた一族の資料約千点を同市にある関西学院大学博物館に寄贈。同博物館では27年5~7月に約60点を公開する展覧会「愛新覚羅家の人びと-相依為命(あいよっていのちをなす)-」が開催され、6月20日に開かれた記念講演会では福永さんが自らの体験を語った。

 博物館によると、当初の定員300人に対して4倍近い参加申し込みが寄せられ、関西圏だけでなく、関東や九州など遠方からの参加者もいたという。河上繁樹館長は「予想を超える反響だった。終戦から70年、中国との緊張関係もある中で、戦争を知らない世代が増えている。ご本人が語ることが大きかったのではないか」と話す。

 展覧会の副題「相依為命」は「時代は変わっても、相手を思いやる気持ちがあれば生きていける」との意味で、溥傑がよく口にした言葉。福永さんの生涯をつづったノンフィクション「流転の子 最後の皇女・愛新覚羅●生」を著した作家の本岡典子さん(59)は「●生(こせい)様は命さえあればと語られ、その言葉はシンプルだけれど大切なこと。苦労の後、愛によって再生したご一族の物語を伝えていくことは今、とても大事なことだと思います」と訴える。

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