さらば愛しき人よ

中年男女の不倫…「マディソン郡」より早かった 「風の盆恋歌」世に出した高橋治さん

 1929年、千葉市に生まれた高橋治さんは53年、東京大学文学部国文科を卒業後、助監督として松竹大船撮影所(神奈川県鎌倉市)に入った。世に言う「松竹ヌーベルバーグ」を支える人材が続々と入所した時期である。同期に篠田正浩が、同年代には大島渚や山田洋次がいた。

 当時の空気を篠田は次のように話している。《そのころ松竹大船撮影所は頂点が小津安二郎、木下恵介、渋谷実。助監督の一番上が小林正樹、野村芳太郎。上に今村昌平、中平康、松山善三ら先輩がいて、僕の同クラスが直木賞を取った高橋治だった。その下に大島渚、山田洋次がいるわけです。脚本部には橋田寿賀子とか、そんなのがごろごろしてる。そういうの全部がいやだなと思ったね。自分で学んできたこと、そして戦後体験がこの撮影所には全くかぎ取ることができないと。なんで小津安二郎の映画はあんなことやっているんだ。いまでこそ世界的大作家ですけど、僕らはいかに否定するかという立場に立ったんですね。木下恵介は座標軸がちょっとこっちに寄っていた分だけ距離感が近かったですけど、木下恵介の演出の天才的なものを引き継ぐなんて気持ちは毛頭なかった》(産経新聞97年8月14日付)

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