その台湾の割譲、朝鮮の併合はそれぞれ日清戦争、日露戦争の主要な結果だといえる。だから村山談話は「国策を誤った戦争」の結果としての「植民地支配」と「侵略」を詫びることで日清、日露両戦争をも悪かったと断じているわけだ。
この点、村山氏自身、同談話発表時は「誤り」や「侵略」をどの時期からとするかについては「断定は適当ではない」と述べていたが、首相辞任後には「やはり日清、日露からずっとだ」と明言した。村山氏が委員長を務めた日本社会党が明治時代の日清戦争など日本の対外的な動きを「侵略」と決めつけていたのだから自然でもあろう。
だがこの見解はあくまでマルクス主義系の特殊な史観である。中国共産党や日本共産党の主張でもある。とくに中国では日清戦争を「日本が仕かけた中国侵略戦争」と呼び、「日本軍の残虐行為」を中高校の歴史教科書で膨大な分量、教えている。日露戦争も日本を悪の侵略国として描く点では同様である。
だが国際社会一般となると事情はまるで異なる。日本の侵略を糾弾した極東国際軍事裁判でさえ、日清、日露の両戦争は視野の外においていた。ましていまの世界の歴史観では村山談話的な「明治時代の日本侵略非難」は超少数派だといえよう。いまの日本国民一般の認識も明確だろう。