安倍晋三首相の戦後70年談話をめぐる論議は村山富市元首相の戦後50年談話の継承の度合いが主要な争点となってきた。だがこの村山談話自体に国際的な史観からみても、日本国民の一般認識からみても、ゆがみと呼べる欠陥があることがいままた検証されるべきである。
村山談話のゆがみとは簡単にいえば、日清、日露の両戦争をも事実上、「誤り」と断じ、「侵略」扱いして、「お詫(わ)び」の対象としている点である。具体的には以下の記述だ。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」
だから「心からのお詫びの気持ちを表明」するというのだ。
日本の「植民地支配」といえば、台湾と朝鮮である。欧米列強の植民地支配とは違う要素があったとしても、長期的かつ制度的な他領土の統治としての植民地という表現が適用できるのはまず台湾、朝鮮だろう。対米戦争の開始後の領土の占拠は植民地支配とはいえない。