みちのく会社訪問

島津麹店(宮城県石巻市)

 ■震災乗り越えリニューアル

 宮城県石巻市のJR石巻駅近くの住宅街に、一軒の長屋がある。明治42年に創業し、麹製造や麹製品販売業などを営む「島津麹店」だ。東日本大震災の津波で、店舗や工場などが約140センチまで浸水する甚大な被害を受け、一時休業していたが、昨年11月3日、リニューアルオープンした。

 仙台藩主伊達政宗公の命で江戸時代初期、家臣の川村孫兵衛が北上川の改修工事と新田開発を進め、石巻地域にコメやコメを使った食文化を根付かせた。創業者の島津新之亟(しんのじょう)氏は石巻地区のコメ農家。地元の寺に伝わる資料によると、明治42年、北上川流域で生産したコメを使った麹を作ったことが島津麹店の始まりとされている。

 ◆自然な甘さの「華糀」

 看板商品は、県産のササニシキ1等米を発酵させて作る麹飲料「華糀(はなこうじ)」だ。半俵(30キロ)入る専用の蒸し器で水で研いだコメを蒸す。蒸したコメは縦約1メートル横約180センチの網状になった台に乗せてほぐし、菌が均等に発酵するような状態にする。温度管理をした発酵機で約1週間寝かせて発酵させると、生の糀が完成。これを使って「華糀」などの製品を作る。「華糀」は麹菌が生きており、アルコール、添加物は入っていない。自然な甘さが特徴の製品だ。

 「店を再開した日は震災が起きた(平成23年)3月11日とは逆の並び。震災をひっくり返して復興するという思いを込めた」

 6代目を継いだ佐藤光弘さん(30)は開店当時をこう振り返る。震災発生時まで、島津麹店は光弘さんのいとこで、5代目の島津智明さん(34)と智明さんの祖母、島津孝子さん(86)が切り盛りしてきた。しかし、震災の津波で明治時代から受け継いできた木樽などの麹製造に使う道具が腐って使えなくなり、智明さんは店を続ける気力が起こらなくなったという。

 佐藤さんと、事業を統括する父の憲光さん(64)は、震災時はそれぞれ別の場所で働いていた。憲光さんは石巻市に隣接する女川町で行政書士の仕事をする傍ら休日は麹店を手伝い、麹製造の知識や経験を持っていた。光弘さんは福島県郡山市で自動ドア会社に勤務していた。2人は震災後、店舗や工場などの掃除や片付けを手伝ううちに智明さんの後を引き継ぐ決意を固めたという。23年秋、震災発生から約半年後のことだった。

 ◆復興を後押ししたい

 憲光さんは「麹を専門に製造しているのは石巻市、女川町、東松島市の中でも当店だけ。単なる食に止まらない、文化そのものだからこそ、震災を理由に途絶えさせてはならないという思いだった」と振り返る。光弘さんも「100年以上続く老舗を営む家系に生まれたからには、麹製品で街の復興を後押ししたいと思った」と力を込める。

 発酵した白い麹の塊を買いに地元の女性客(73)は「市販の麹とは全然違う。しょうゆやオリーブオイルと混ぜてドレッシングにして食べると本当においしい」と笑顔を見せた。(岡田美月)

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 ◆企業データ

 宮城県石巻市旭町3の24。明治42年創業。従業員3人。飲む糀「華糀」のほか、みそやしょうゆなど麹菌を発酵させて作った生糀を使った商品を製造し、販売する。インターネットでも購入できる(http://www.kouji-simadu.com/)。問い合わせは、(電)0225・22・1708。

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 【取材後記】6代目の佐藤光弘さんと父、憲光さん親子から、「東日本大震災の津波で被害を受けても絶対に負けない」という強い気概を感じた。当店のみそは、宮城県産米でできた麹に「伊達の旨塩」や「ミヤギシロメ大豆」など県産の食材を混ぜて作る。「麹製品は健康食品という枠に止まらず、石巻地区、宮城県の文化そのもの」と話す憲光さん。県産にこだわり復興を進めていこうとする姿勢が印象に残った。