激闘の地・硫黄島はいま(上)

壕内は60度を超える暑さ… 持久戦支えた縦横無尽の地下壕のすさまじさ

【激闘の地・硫黄島はいま(上)】壕内は60度を超える暑さ… 持久戦支えた縦横無尽の地下壕のすさまじさ
【激闘の地・硫黄島はいま(上)】壕内は60度を超える暑さ… 持久戦支えた縦横無尽の地下壕のすさまじさ
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 昭和20年2月に米軍が上陸し、日米合わせて2万人以上が戦死した硫黄島(東京都小笠原村)。安倍晋三首相が4月末に米国を訪問した際の米上下両院合同演説の中で、当時米海兵隊中尉として戦ったローレンス・スノーデン海兵隊中将と、日本軍の硫黄島守備隊司令官だった栗林忠道中将の孫、新藤義孝衆院議員を紹介したことでも知られる。普段の立ち入りは認められていないが、今月14~16日、年に一度行われている旧島民の訪島事業に同行し、70年を経た激戦の地のいまを取材し、当時に思いをはせた。(橋本昌宗)

繁栄謳歌(おうか)した南洋の島

 硫黄島は東京から南に約1250キロの位置にあり、北硫黄島、南硫黄島からなる「火山列島」の中心にある。現在は海上自衛隊と航空自衛隊の基地があり、基地関係者以外の民間人の立ち入りが制限されている。南西の端にある摺鉢(すりばち)山(標高169メートル)が最も高い場所で、全体的に平坦(へいたん)な地形をしている。このため、本土とグアム、サイパンの中間で空港を設置できる島として軍事上の重要拠点となった。

 島のあちらこちらでは噴煙が上がり、地面の隆起が続くなど火山活動は活発だ。硫黄の採掘や、亜熱帯性の気候を生かしたパイナップルやサトウキビ、香水の原料となるレモングラスなどを東京に出荷していた。

 旧島民によると、島は金銭的に豊かで、戦中に物資が不足する中でも、普通に白米を食べることができたという。戦前には島の東部を中心に1千人以上が生活していた。

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