韮崎「七里岩」、山梨県内初の登録記念物に指定へ

 韮崎市の断崖地形が連続する「七里岩(しちりいわ)」(屏風岩(びょうぶいわ)を含む)の国登録記念物(名勝地関係)指定が確実となった。文化審議会が19日、下村博文文部科学相に指定がふさわしいとして答申した。戦国武将、武田信玄の死後、家督を継いだ勝頼によって築城された「新府城」跡がある歴史的にも価値が高い景勝地だ。答申に沿って正式指定される見込み。国登録記念物としては県内で初となる。

 「七里岩」は八ケ岳南麓に広がる。約20万年前に山体崩壊が起き、岩石や土砂が流れる現象「岩屑流(がんせつりゅう)」によって形成されたと考えられている。南北約25キロ、東西約18キロの大規模な台地を残している。さらに釜無川の流れによる浸食で高さ40~150メートルという断崖地形が連続して、規模の大きさから「七里岩」の呼称が定着した。

 市教育委員会によると、七里岩は暗灰色輝石安山岩(あんかいしょくきせきあんざんがん)と凝灰(ぎょうかい)角礫岩(かくれきがん)で構成され、連続する断崖絶壁が城壁の役割を果たしたことから、武田勝頼が台地の突端部分に新府城を築城した歴史が残る。景勝地であり、戦国の世には要害の地であった。江戸時代後期に当地に住んでいた教育家、一条信郷(のぶさと)が「詠不二山百首歌(えいふじさんひゃくしゅうた)」に美景を詠んだ和歌を収めているほか、明治時代の俳句にも七里岩が登場したという。

 登録が予定される範囲は、七里岩の中でも史跡新府城跡北西部の「屏風岩」周辺の4700平方メートル。重要文化財の指定制度で登録記念物は公園、庭園、その他名勝地のうち、人文的または自然的であって広く知られている上に、(1)造園文化の発展に寄与する(2)時代を特徴づける造形を残す(3)再現することが容易でない-のいずれかに該当することが求められ、七里岩は(3)に該当する。

 七里岩は同市の歴史、伝統にゆかりが深い景勝地で、長く親しまれてきた。同市の内藤久夫市長は「七里岩が国の登録記念物に答申されたことを誇りに感じる。名勝地としての価値が認められたことになり、七里岩の魅力の継承と発信に取り組んでいきたい」とコメントを発表した。

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