現在の日米安全保障条約が国会で自然承認されたのは1960(昭和35)年6月19日午前0時。19日で55年となる。旧安保条約は、在日米軍に日本の防衛義務がない上、内乱に出動できる条項もある極めて不平等な条約だった。当時の岸信介首相(1896~1987年)は安保条約改定に身命を賭したが、米政権内の抵抗は根強く交渉は難航した。そんな中、日米両政府の間を奔走し、改定の立役者となったのは、駐日米大使を務めたダグラス・マッカーサー2世(1908~97年)だった。(ワシントン支局 加納宏幸)
マッカーサー氏は、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官を務めたダグラス・マッカーサー元帥のおい。軍人ではなく外交官の道を選び、ドワイト・アイゼンハワー元大統領(1890~1969年)がNATO軍最高司令官だった際、外交顧問を務めた。
マッカーサー氏が初めて訪日したのは1922(大正11)年7月、13歳の時だった。海軍大佐だった父、アーサー・マッカーサー3世とともに米海軍の艦船に乗り込んだマッカーサー氏は日本近海で旭日旗をはためかせる2隻の駆逐艦を見て父にこう話しかけた。
「日本は遅れているね。僕たちの船には煙突が4つあるのに日本の船には2つしかない」