安保改定の真実

新条約の真の設計者はマッカーサー2世だった… 骨の髄まで反共主義者 「中ソの日本中立化を阻止せねば…」

 すると父は「日本の海軍を軽く見ない方がいい。8年は米国の先を行っている」と語り、米海軍は、4つのボイラーの排気を2つの煙突で行う技術を持っていないことを説明したという。マッカーサー氏は1986(昭和61)年、米国務省系の外交研究・研修協会のインタビューでこう振り返っている。

 「父の言葉を忘れたことはない。それは本当だった。どれだけ多くの人々が戦前も戦中も日本のことを過小評価したことか…」

 祖父のアーサー・マッカーサー・ジュニアも日露戦争の観戦武官として満州に赴き、在日米大使館の駐在武官を務めた。マッカーサー記念館(米南部バージニア州)の公文書保管人、ジェームズ・ゾーベル氏は「マッカーサー家には『米国の未来はアジアにある』という考えが伝統としてある」と説明した。

 マッカーサー氏は1957(昭和32)年2月、岸内閣発足と同時に駐日米大使に就任した。直前の1月30日、群馬県の米軍相馬ケ原演習場で米兵が主婦を射殺する「ジラード事件」が発生。骨の髄まで反共主義者だったマッカーサー氏は、事件の対処を通じて、旧ソ連や中国が反米・反基地闘争をあおり、「日本の中立化」を名目に日米同盟を弱体化させようと企てていることを知り、安保改定の必要性を痛感したという。