【安満遺跡】視点 「近畿でのコメ作り」生々しく伝え(1/2ページ) - 産経ニュース

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安満遺跡

視点 「近畿でのコメ作り」生々しく伝え

 「瑞穂の国」といわれる日本列島で、コメ作りはいつ始まり、どう広まったか。19日、大阪・高槻市の安満遺跡で発見された近畿最古級の水田跡は、その解明に大きな意味を持つ。

 稲作の存在は、灌(かん)漑(がい)施設や農具の発見のほか、土中からイネの細胞であるプラントオパールが確認されれば証明できる。最近では、水田そのものが発掘されるケースも増えている。

 朝鮮半島からもたらされた稲作は、まず北部九州で花開いた。縄文時代晩期、菜(な)畑(ばたけ)遺跡(佐賀県唐津市)や板(いた)付(づけ)遺跡(福岡市博多区)などでは用水路や堰(せき)が設けられ、畦(あぜ)で区画された水田が検出されている。

 こうした技術は、瀬戸内海や日本海などを経て伝(でん)播(ぱ)した。近畿では大阪湾岸や奈良盆地に、さらに淀川を遡(そ)上(じょう)して京都盆地や琵琶湖まで広がった。安満遺跡は、その最も早い時期の拠点なのだ。

 近畿での前期水田跡は秋津遺跡(奈良県御所市)などで見つかっているが、居住域、墓域とともに、3点セットで確認されたのは初めてで、意義は大きい。