子・孫が語る昭和の首相

鈴木善幸 「おやじが首相になったのは、党内抗争が激しかったことの表れ」俊一氏インタビュー

【子・孫が語る昭和の首相】鈴木善幸 「おやじが首相になったのは、党内抗争が激しかったことの表れ」俊一氏インタビュー
【子・孫が語る昭和の首相】鈴木善幸 「おやじが首相になったのは、党内抗争が激しかったことの表れ」俊一氏インタビュー
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 --生まれたときには善幸氏はすでに政治家だった

 「子供心に覚えているのは、あの当時、岩手から人が夜行列車で上京してくると、家に来るですよ。どういう人が来ていたんだろう。風呂に入って朝飯を食べていた。戦後12~13年のころだった。日本全体がそういう時代だったですよね。おやじが昭和35年に池田勇人内閣の郵政相で初入閣したのは私が小学校1年のときだった。岩手から祖父母が来て、えらく喜んでいたのを覚えていますね」

 「39年の東京五輪のときは官房長官だった。池田内閣の最後で、池田さんは病気(喉頭がん。当時は『前がん症状』と発表されていた)で辞められた。翌朝、おやじは一人で朝刊を見ながら、泣いていたっていうんですよ。池田首相の退陣がよほど無念だったんでしょうね。母(今年3月22日に亡くなったさちさん)が言っておりました」

 --善幸氏は首相になるつもりはなかったという。父親が首相になると想像したことはあったか

 「なかった。どちらかというと裏方だったんですね。53年に大平正芳政権をつくるときは本当に一生懸命だった。自民党総裁選で陣営の指揮官として大平政権をつくった。政権ができたとき、本当にうれしそうでしたよ。『わがことなれりだ』と言っていたのを覚えています」

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