ハイ檀です!

父母の遺産

妙なる香りに父母の記憶が甦る
妙なる香りに父母の記憶が甦る

 梅雨に入った為だろうか、夕方の空気がどんよりとしている。庭先に漂う甘い香りが、僕を憂鬱な気持ちへと引き込むのだ。3月の終わり頃であっただろう、母が肺炎で入院。母と申しても生みの親ではなく、育ての親だ。生みの親の律子は、僕が3歳になる寸前に他界した。彼女の没後、1年ばかりして父は再婚。ものごころのつき始めた悪ガキの母親に突然なった訳だから、その苦労は大変なものだったろうと、改めて感謝しよう。

 その母が肺炎の後、徐々に体力を奪われついには4月の末に永眠。92歳という年齢でもあり、葬儀は親族と一部の関係者だけという密葬形式で執り行った。そんな参列者の中に、作家の沢木耕太郎氏の姿が見受けられた。沢木氏は父の没後、母であるヨソ子に半年に渡ってインタビュー。『檀』を小説化され、ベストセラーとなった。父の『火宅の人』を、母の立場から見つめた小説になっている。

 ところで、柳川の福嚴寺にある墓であるが、檀一族が祖父の代から埋葬されている。これは、父が生前に「墓を分散したくない、私が墓碑銘を認めて置きますから、私が死んだ後、墓を一つにまとめて下さい。皆で賑々しく過ごしたいので…」と僕に言い遺した。そこで、母律子の墓と祖父参郎の墓を一箇所にまとめ『檀家の墓』を建立した。しかし、母ヨソ子が、墓地を他に探していることを知った。僕は、ヨソ子は律子と一緒には眠りたくないもの、と浅薄な推測をしていた。が、ヨソ子の没後、妹のふみと話していて、ヨソ子が僕に遠慮をしたことを識る。この誤解が解け、父は爽快な高笑いをしているに相違ない。

 父と2人の母の結婚について、面白い話がある。律子との結婚の際、父は当初、見合いを渋っていたようだ。だが一回会ってもらわないと話は断れない、との話で嫌々見合い。ところが、律子と対面して1分。間髪を入れずに、「どうか、よろしくお願い致します」と仲人の方に深々と頭を下げたという。また律子も、その決断の早さに一目惚れしたとか…。

 ヨソ子の場合も、サプライズがあったようだ。3歳を迎えた僕と2人で、山寺で耐乏生活を過ごしていたのだが、その窮状を童話作家の与田凖一さんが見かねたらしい。「檀さん、戦争未亡人ではあるが、よかったら一度会いませんか?」と勧めて下さったようだ。この時も「私には、太郎が居りますから、結婚はどうも」と言って一旦は断ったらしい。そこで与田さんは一計を案じ、檀さんは週に1度は食料探しに山を下りて来るだろうから、その際に会わせてしまおう、と企(たくら)まれたとか。父はまんまとこの計略に引っかかり、ヨソ子と会うなり、またぞろ「よろしくお願いします」の台詞(せりふ)を吐いたらしい。その後70年近く、僕はヨソ子の世話になったのである。

 という経緯があり、僕はほんの少し落ち込みながら庭に佇んでいると、甘い香りが僕の官能を刺激するではないか。確かめて見ると、40年前に父と母ヨソ子が能古に住んでいた際に植えたのであろう、鉄砲百合の香りであることに気づく。この百合、始めは2、3株であったが、今では50株近くに増え数え切れぬ程に花を咲かせている。梅雨時の夕方には、妙なる香りを発し、僕に忘れかけていた記憶を甦(よみがえ)らせるのである。このメランコリックな気分、父母の遺産でもある。

                   ◇

【プロフィル】だん・たろう

 1943年、作家・檀一雄氏の長男として東京に生まれる。CFプロデューサー、エッセイストとして活躍し、「新・檀流クッキング」などの著書多数。妹は女優の檀ふみさん。

会員限定記事会員サービス詳細