振り返ると、ごく自然に役者という道を自分で選んだように思います。
出発点は3歳のとき。祖母の家で見た曽祖父(大正から昭和にかけての名優、六代目尾上(おのえ)菊五郎)の映画でした。小津安二郎監督が撮った鏡獅子に驚き、「どうしたらやれるの」と、祖母に聞いたことをよく覚えています。
その日から毎日、憑(つ)かれたように曽祖父の鏡獅子を見ては頭を振っていた。当時の銀座の祖母のビルは、向かいが日本舞踊尾上流のお稽古場。鏡獅子をまねし続ける僕の様子に、祖母と母がお稽古場に連れていってくれて、踊りを習い始めたんです。
でも、最初はお扇子を持って歩くお稽古。当時の僕は不満に思い、尾上墨雪(ぼくせつ)先生(尾上流三代家元)に「鏡獅子をやりたい」って申し上げた。すると、先生は「牛乳を飲め」とおっしゃった(笑)。先生には踊りだけでなく、いろいろなことを教えていただきました。内弁慶の僕が、舞踊の様式を借りるとむしろ解放され、自分らしくいられることに気づき、踊りが大好きになったんです。