大津祭、幻の曳山「神楽山」描かれた版画見つかった 大津市歴史博物館が発表

 雅やかな曳山が大津市の旧市街地を練り歩く伝統の「大津祭」で、江戸時代後期に14基の曳山が参加する様子を描いた版画が見つかり、大津市歴史博物館が発表した。市教委が12日発行する「大津曳山祭総合調査報告書」に掲載される。現在、祭りに参加している曳山は13基だが、版画には幕末以降に姿を消した曳山「神楽山」を含めて14基がそろい、今は行われていない「練物(ねりもの)」と呼ばれる仮装行列も描かれている。同館は「大津祭の絵画資料は極めて少なく、14基が描かれた資料は初めて。祭りの全体像を明らかにする貴重な発見」と評価している。

 ◆幕末に姿消す

 見つかったのは「四宮祭礼(大津祭の当時の名称)摺物(すりもの)」と呼ばれる3枚組の版画。曳山の巡行順(縦15・8センチ、横7・5センチ)▽神事行列の様子(縦15・7センチ、横57・5センチ)▽曳山14基の絵と解説(同)-の3枚からなり、見物客向けに観光パンフレットのような物として、配布したものとみられる。

 描かれた練物の種類などから、行列の様子や曳山の解説は文政4(1821)年以前の製作とみられる。しかし、巡行順は同8年のものが記載されており、絵の部分は過去の分を使い回し、巡行順だけを8年分に新調し、その年の祭りで配られたと考えられる。

 大津祭の国重要無形民俗文化財指定を目指し、市教委が祭りの調査を進める中で、武蔵大人文学部の福原敏男教授(日本民俗学)がこの資料を所有していることが判明した。

 中でも目を引くのが、万延元(1860)年に巡行から退いた神楽山の絵。曳山に取り付けられていたからくり人形や幕は現在も残っているが、曳山本体は現存せず、関係者の間で「謎」とされてきた。しかし、今回の資料発見で、屋根の形が寺院建築によくみられる「入母屋造(いりもやづくり)」だったことなどが見て取れる。

 大津祭曳山連盟の白井勝好理事長は「今回の発見は、国重要無形民俗文化財指定への追い風になる」と話している。

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