日航機墜落30年「御巣鷹の尾根」の現在 残る爪痕、むき出しの山肌 群馬

 うっそうと緑が茂った尾根の一角に地肌があらわれ、慰霊の人波が肉眼でも確認できた。乗員乗客520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から30年となる「8・12」を前に、県警のヘリコプターに同乗し「御巣鷹の尾根」(上野村)を上空から視察した。墜落した機体が木々をなぎ倒した場所は、今もなお地肌をさらし、事故現場の惨状を伝えていた。(久保まりな)

 「あれがU字溝です」

 前橋市のヘリポートを出発し藤岡市街地を南下、山並みが現れ、いよいよ尾根にさしかかろうとしたとき、成田晃一副隊長が機内マイクで声を上げた。

 機体がぶつかり、山がU字に削れた場所だ。新緑に覆われていて、上空からだとわかりにくいが、登山すると、はっきりとU字に削れているのが今でも視認できるという。

 出発してから約20分、事故現場上空に到達した。尾根のピーク付近の少し開けた部分は、手前の尾根に何度かぶつかった機体が最終的に墜落した場所だ。そこで機体は3方向に分断され斜面の樹木をなぎ倒した。炎を上げ周辺を燃やしたという場所は、現在も木が生えてこない部分があり、山肌がまだらになっていた。

 ピーク付近の地肌の見える場所は広場のようになっていて、「昇魂之碑」が建立され、慰霊の人たちだろうか、碑の前で輪になっているのが見えた。亡くなった誰かを思い会いに来たのだろうか。今でも消えない事故の爪痕を上空から目の当たりにし、30年の月日の重さを感じた。

 360度見渡しても幾重にも連なる山並しかない中で当時、日航機を操縦していた高浜雅己機長=当時(49)=は木々にぶつかりながらも、何度も体勢を立て直そうとしたという。

 昭和60(1985)年8月12日、524人を乗せた日本航空123便は現場付近を大きく旋回しながら御巣鷹の尾根に姿を消した。急降下するのを感じながら、窓から連なる山を見ていた乗員乗客の恐怖は計り知れない。

 520人の尊い命が眠る現場は、30年たった今も、寂しげだった。

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