深い思索を平易な言葉で語ることができた希有(けう)な人だった。その言葉は5月の緑の風のように、悲しみに打ちひしがれた人を「風立ちぬ、いざ生きめやも」という気にさせてくれた。
1939年、福島市に生まれ、早稲田大学第一文学部ドイツ文学専修で学んだ。在学中にケルアックの『路上』、ついでオーデンの詩集と出合い、詩をこころざした。
『長田弘詩集』の巻末にある自筆年譜にこうある。《(22歳)ウィルフレッド・オウエンの詩を知り、オウエンの「詩はpity(哀れみ)のうちにある」という詩に対する態度に、決定的な影響を受ける》
25歳で刊行した第1詩集『われら新鮮な旅人』で注目を集め、以後、『言葉殺人事件』『私の二十世紀書店』『詩人であること』『深呼吸の必要』『食卓一期一会』『世界は一冊の本』『詩は友人を数える方法』『記憶のつくり方』『世界は美しいと』『奇跡-ミラクル』など、コンスタントに詩、エッセー、評論を発表していった。