〈昭和48年、ロックンローラーの内田裕也さんと結婚。51年、長女の也哉子さんをもうけるが、そのころから内田さんとは別居中だ〉
もう子供がいたんじゃ、とてもじゃないけど夫との生活は成り立たない。だから別居して、今日までおよそ40年になります。
私も自分のことだけで精いっぱいで、よそのことは構ってられないの。で、あちらはあちらで回遊魚みたいな人で、ロックンロールしてるわけだから。それはそれでお互いの利益がきっとうまくいっているんですよ。
内田さんが仕事で収入があると、それは全部内田さんのものなんだけど、税金とか保険料とかは私のところに回ってくる。それでいいなって言うから、はい、いいですよ、って感じね。だって税金を考えて使ってないもの。
要するにね、私にとっては大事な重しなんですよ。最近はだいぶ私の変なところも知られてきたけど、内田さんがおかしくて、私がちゃんとしてるふうに思われた時期もあるのね。だけど本当は、どこに飛んでっちゃうかわからないような人生を送るはずだったんです、私が。だからいい重しなんです。重しの分だけ税金を払わせていただきます(笑)。
〈一粒種の也哉子さんは、19歳で俳優の本木雅弘さんと結婚した〉
子供は世の中に育ててもらったって感覚ね。仕事場にも平気で連れていったし、由利徹さんなんて、父親がいなくて寂しい思いをしてるだろうと、よく電話をかけてきたわね。「也哉子いる?」って。いろんな人から愛情をもらって育ってきたようなものね。
高校のときには、「お母さん、どこか留学していいかな」と言って、自分でスイスの学校を見つけてきた。親離れしてたからね、早い時期に。あんまり親が子供を保護しすぎるのも親離れしないんじゃないかな。
19歳で結婚したときも、学校に行った方がいいかなって聞くから、「あのね、学校はいつでも行けるけど、結婚は分別がつかないうちにした方がいいよ」って言って(笑)。最近はみんなだんだん結婚しなくなってきてるでしょ。子供は早く産んだ方がいいし、だから今、彼女は3人の子供を育ててるけどね。
〈映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」などで母娘共演もした〉
若いときの役で、いくら扮装(ふんそう)しても私にはできないなと思ったら、監督が「あの~、也哉子さんはどうでしょうね」って言うからね。最近はもう、「お母さんさあ、抱き合わせで売り込まないでよね」って言うのよ。
でも「奇跡」って映画に出たとき、台本を読んだら子供たちがいっぱい出てくるのよ。今、次々とオーディションしてますっていうから、うちも参加させてくれませんか、なんて言って孫娘の伽羅(きゃら)を売り込みました。抱き合わせで。(聞き手 藤井克郎)