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大阪でヘアアクセサリーの製造・販売会社を起業した文美月さん(44)は43歳のときに日本国籍を取得し、日本に帰化した。昨年12月には、衆院選で人生初の「投票」も経験。さまざまなことが、ひとごとから自分事に変わっていく実感を得たという。
43歳で得た「ひとつの結論」
海外に行くときに必ず通る出入国管理のゲートで、緑色(韓国)から赤色(日本)に変わったパスポートを見るたびに、祖父母の世代からの歴史が詰まっているのを感じます。
私は43歳で一つの結論を出しました。長かったアイデンティティー探しの旅を終え、日本国籍を取得し、日本に帰化したのです。
「文美月(ぶん・みつき)」という名で帰化したのですが、民族のルーツを残した帰化のケースはかなり珍しいといいます。多くの在日コリアンは通称名(通名)を使い、帰化する際にそのまま通名を本名にするケースがほとんどですが、私の場合は逆。もう15年以上も通名を使わず、「文」で仕事をしていたので、今更日本名で帰化するほうが不自然だったのです。
友人からはこんな声が届きました。
「名前変えない帰化って、あんまり意味ない気がするけど…」
「別に、韓国籍のままでいいんじゃないの?」