正論

安保法制の「大業」を成就させよ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛

 ≪胸突き八丁迎えた法整備≫

 当時、私は東大大学院で国際関係論を専攻していました。岸信介政権はアイゼンハワー大統領との間で結んだ日米安全保障条約の国会通過を目指し、悪戦苦闘中。首相官邸も国会議事堂も連日「安保ハンターイ」を叫ぶ抗議デモに十重二十重と取り囲まれます。

 安保賛成派でも反対派でもなかった私はそれでも気がかりだったので、地下鉄で官邸前に行き、形勢視察を試みました。その翌日の夜、東大女子学生の樺美智子さんがデモ隊と警察の衝突の中で死亡する悲劇が起きたのです。ショッキングでした。

 その頃、岸首相の孫、安倍晋三氏は祖父の住む渋谷区南平台の近くで暮らしていました。ここもくだんの「安保ハンターイ」のシュプレヒコールに取り囲まれ、家人をうんざりさせていました。ただ当時6歳の晋三坊やはその意味が分からず「アンポ、ハンターイ」を連呼、両親を苦笑させます。そして祖父、信介に「アンポって、なあに」と聞く始末。安倍首相は平成18年刊の「美しい国へ」(文春新書)で往時、つまり1960年をそう回顧しています。