「いよいよ明日逮捕だ」 連続企業爆破事件・世紀のスクープ 警視庁記者たちが震えた40年目の真実

 《トラベルウオッチで爆弾の全容に迫る 聖橋からのタクシー客を追え》

 生原 村上記者は9月2日に「強力爆弾の全容」という記事をものにしている。ここで、最も注目されたのは、時限起爆装置にトラベルウオッチが使われたという点だった。11件の事件はいろいろなグループが手分けしてやっているので、容器がすべて違った。共通しているのがトラベルウオッチだった。公安警察の出番の前に、すでに爆弾の全容に迫っていた。爆弾の形状を、「ペール缶」と書いたのも村上記者が最初だった。

 村上 事件の直前、御茶ノ水駅の聖橋からタクシーに乗り、現場付近に向かった2人組が目撃されたことを突き止めたが、その2人組が大切そうに持っていたハトロン紙に包まれた円筒形の荷物がペール缶だった。

 山崎 「ある個人タクシー運転手が不審な客を乗せた」という情報があり、各社も気づいて取材が殺到した。村上記者は「どうせ、(タクシー運転手は)みんなの前では話さない」と踏んで、いつも全社が帰った後に一人だけタクシー運転手宅に入り込み、じっくり話を聞いてきた。

 《警視庁庁舎は突き上げた衝撃波 パトカー無線から「爆弾が爆発したようだ…」》

 生原 捜査1課をやっていたが、発生から絡んでいる。発生は夕刊の締め切りギリギリの時だった。担当は各課を回っていたが、私は捜査1課の理事官(捜査1課のNo.2)に取材しようと刑事部長室の前を通りかかっていた。その時、床がドーンと突き上げられた。旧警視庁庁舎は昭和6年の建造で、戦争中に爆弾が落ちても大丈夫なように床も分厚く、各階の作りが頑丈にできていた。そんな建物が突き上げられたことで、「これは、どこかで爆発があったな」と走り出した。理事官室に入り、窓の外を見ると、第一生命ビルの向こうからモクモクと白い煙が上がっていた。パトカーからの無線は最初、トラックが横転しているので「積み荷のプロパンガスが爆発」だった。その後、「爆弾が爆発したようだ」に変わった。それで公安幹部も、大変なことになったと思ったのではないか。

 小野 事件当日、東京都立川市で取材をしていたら、「タンクローリーが爆発した」と他社のカメラマンに教えられ、デスクに電話すると「すぐに上がって来い」と指示されて慌てて帰社した。夕刊を広げると、毎日新聞が1面で血だらけになっている被害者を写したすごい写真を載せていた。(事件カメラマンとして)「ああ、負けたな」という悔しさがこみ上げてきた。その後、三井物産爆発事件が起きた時は、自分は入院中だった。医者に黙って現場に行こうと、ロッカーを開けると、何も服がない。女房が出ていけないように、自宅に持って帰っていた。そういう鬱憤が悔しさに変わっていったように思う。

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