《まいたはずのカメラマンを見つめる公安捜査員 『もういい分かったから。カメラを隠して』》
小野 私はカメラマンだったので、直接事件取材はしていない。前日は妻の出産で新潟にいたが、会社から「すぐ来い」と電話がかかってきた。「なんですか」と聞くと、「そんなこと言えるわけがない」と言われた。会社に着いたのが、スクープの出る日(5月19日)の午前1時。すでに写真部には、誰もいなかった。他のカメラマンが、何をやっているか全くわからなかった。壁を見ると自分の名前のない配置表があったが、何のためのものか見当がつかない。ぼーっとしていたら、デスクが来て、「お前、何をやっているんだ」と怒鳴られた。「僕は何をすればいいんですか。何が起きているんですか」と聞くと、机の上に裏返しにしたゲラがあった。それを表にすると「爆破犯 数人に逮捕状」の見出しが躍っていた。警視庁記者クラブにはよく出入りしていたんだけど、同じ会社の人間でもスクープが近づいていることは、まったく分からなかった。デスクに「仕方ないから愛宕署でも行け」と言われ、言われるがままに配置についた。
社会部記者と2人で、愛宕署から出て行く警察車両を追いかけた。その車は築地署に入り、空の車が出てきた。陽動作戦だった。こっそり出てきた2人の捜査員を二手に分かれて追跡した。私が追った捜査員はそこからタクシーと徒歩、電車の乗り降りを繰り返し、振り切ろうとした。南千住駅で捜査員が降りた。私も飛び降りたが、傘が電車のドアに挟まれた。やっとのことで傘を曲げ、頭を上げた。
すると、雨の中、捜査員がホームの中程に立ち、こちらを見つめている。その間は5、6秒ほどだったろうか。逃げようと思えば、十分振り切れた時間だった。捜査員は無言で小走りに改札口に向かった。改札口を出ると、現場責任者と思われる捜査員が「もう分かったから。カメラを隠して」と語りかけてきた。
《一点を見つめる変装した捜査員 親指の合図でサラリーマン風の男を取り囲んだ》
周囲は変装した捜査員とすぐに分かった。全ての視線が一点に集中していた。まもなく、現場責任者の捜査員が親指を立てた。どこにでもいるサラリーマン風の男を、さりげなく次々と取り囲んでいく。そして車に押し込んだ。わずか数分間の逮捕劇だった。
鈴木 当時、ホシの名前も住所もある程度割れていた。ただ、それが当たっているかどうかは半信半疑だった。だから、みんな、警察署から出ていく刑事を追いかけてホシにたどり着こうとしたんです。何台も警察車両が出発して、一台一台尾行をかけたんだが、すべてまかれてしまった。そして、小野カメラマンだけがホシにたどり着いた。神様が守ってくれたんだ。「すっぽんの小野」。これは、すごいことなんだ。
鈴木 事件で印象に残っているのは、事件発生の当日ですね、8月30日。私はようやく夏休みが取れて、子供たちと(事件現場に近い)有楽座へ映画を見に行った。「華麗なるギャツビー」(昭和49年、米)だったことを覚えている。たった一日の家族サービスだった。昼過ぎか、午後1時ごろだったと思うのですが、外に出たら、目の前が大騒ぎになっていた。パトカーや救急車が走り回り、「何が起きたんだ」と思った。警視庁記者クラブに電話したら、「何が起きているか分からない」と言われ、仕方なく現場に向かった。その頃は丸の内警察署が建て替えをしていて、現在の東京消防庁か三井物産の辺りに仮庁舎を置いていた。何も分からずに、三菱中通りを歩いていった。あの当日の「怖さ」は今でも思い出す。何十人も亡くなった事故や事件の現場は数多く踏んでいるが、誰に聞いても分からない。爆弾であることも分からない。ガス爆発という話があったり、タンクローリーがあったので「それが爆発した」という話もあったり…。次に何が起きるのかも分からず、「怖い」という思いを強くした。地震と同様で、いつ余震が来るかも分からない。初日の怖さは、今でもトラウマのように残っている。