日曜に書く

大阪の過去・現在・未来 論説委員・福島敏雄

◆虎狼のすみか

 大阪は地政学的にみて、日本でもっとも好適な立地条件をそなえた都市であろう。やや西寄りながら、列島のほぼ中心に位置し、泉州や河内、大和など後背地(ヒンターランド)には豊かな田畑がひろがる。

 琵琶湖という巨大な湖から水を満々とたたえた淀川が注ぎこんでいるため、水不足に悩まされることもない。茅渟(ちぬ)の海と呼ばれた大阪湾では魚が豊富にとれ、内陸部に食いこんでいるために、神戸にいたるまでの湾岸部は港(津)としても最適であった。堺方面から上町台地が馬の背のように北に延び、台地上は水害にも見舞われず、住環境もよかった。

 「都市」という観点から、この地の良さを最初に見抜いたのは、本願寺中興の祖・蓮如であった。越前・吉崎や、京都・山科に巨大な宗教都市を築いた蓮如は明応5(1496)年秋、堺に向かう途中、たまたま上町台地にのぼった。

 随行したであろう側近は、そのときの眺めを「虎狼のすみかなり。家の一つもなく、畠ばかりなりしところなり」と記している。だが蓮如の地政学的なカンは敏感に反応した。御文(おふみ)と呼ばれる消息(手紙)には、こう書かれている。

 「そもそも当国摂州東成郡生玉の庄内、大坂といふ在所は往古よりいかなる約束のありけるにや、(略)かりそめながらこの在所をみそめしより、すでにかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ…」

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