浪速風

もしチャプリンが暗殺されていたら

歴史にif(もしも)はないと言うが…。昭和7(1932)年5月14日、喜劇王チャールズ・チャプリンが初めて日本にやって来た。神戸港に着いてすぐに東京へ向かった。翌15日に犬養毅首相との面会が予定されていた。しかし、実現しなかった。五・一五事件が起きたからだ。

▶チャプリンは東京駅からホテルへの途中で車を止めて皇居に一礼する。退廃した欧米文化の象徴という批判をかわすため、日本人の秘書、高野虎市の機転の演出だった。大野裕之さんの「チャップリン暗殺」(メディアファクトリー)によると、青年将校たちはチャプリンも殺害して日米開戦に持ち込む意図だったという。

▶当日、チャプリンはどういう勘が働いたのか「相撲を見に行きたい」と言い出し、犬養首相の歓迎会をキャンセルする。首相官邸では「話せばわかる」「問答無用」の惨劇が繰り広げられた。もし、歓迎会が催されていたら。歴史の裏面をのぞくと、ifを考えてしまう。