浅子は高益(たかます)の「別腹」で嘉永4年、高益の養子である高喜(たかよし)のもとに「義妹」として「入家」し、三井家の人間となった。浅子2歳の出来事だ。
同じように高益の「別腹」で2歳年上の「春」は、高喜の養女として「入家」している。母親がだれなのかは2人とも記されていない。
父高益は浅子9歳のとき59歳で亡くなった。以後は当主を継いだ高喜のもとで、結婚して家を出るまで京都油小路の出水家で暮らしたはずだ。
浅子にとっては義兄となる高喜は26歳年上。高喜には長男弁蔵があり、高喜の巻で浅子は「義妹照(幼名)」として、「養女春・長男弁蔵」とともに記載されることが多い。例えば。
嘉永5年「11月義妹照・養女春・長男弁蔵痘ヲ患フ」
同月28日「義妹照被初、長男弁蔵髪置ノ儀挙グ」
出自がどうであれ、きょうだいとして大事に育てられたことが伺える。それにしても、出水家には高喜の妻であり弁蔵の母である女性がいたわけで、相撲をとる浅子を叱っていた「母上」とはだれだったのか。
1歳年下の弁蔵は後に小石川家第8代当主三井高景(たかかげ)となる。浅子の社会活動の熱心な支援者になり、浅子も文章で「愛弟」などと書いているが、春についてはひと言も触れていない。微妙な家族関係が伺える。
三井文庫で「京都油小路三井邸」の配置平面図を見せてもらった。時期は不明だが最近、所蔵資料の中から発見されたものだという。ざっと数えて部屋数27。大座敷3、居間9、蔵7。広大なお屋敷だ。