子・孫が語る昭和の首相

(5)大平正芳「あーうー」には理由があった 婿の森田一氏が語る

【子・孫が語る昭和の首相】(5)大平正芳「あーうー」には理由があった 婿の森田一氏が語る
【子・孫が語る昭和の首相】(5)大平正芳「あーうー」には理由があった 婿の森田一氏が語る
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 68・69代、大平正芳(昭和53年12月7日~55年6月12日、在職554日)

 昭和53年、現職の福田赳夫との激しい自民党総裁争いを制したのは大平正芳だった。しかし大平政権は、緊張感が増す米ソ冷戦に加え、自民党の派閥抗争と国の財政再建という中で厳しい政権運営を強いられ、大平は現職のまま急死した。婿であり秘書として大平をそばで見続けてきた森田一(はじめ)は、今も大平の理念を現役の政治家たちに語り継ぐのを務めとしている。(山本雄史)

「哲学者」

 森田が大平と初めて会ったのは東大3年の夏だった。大蔵省を志望することになり、香川県出身の蔵相経験者、津島寿一の紹介で大蔵官僚だった大平の都内の私邸に足を運んだ。

 <浴衣姿におなか丸出しで出てきた。ちょっと頭の悪そうな人だな、よく大蔵省に入れたと思った>

 「鈍牛」と呼ばれるに相当する振る舞いだったが、第一印象はすぐかき消された。読書量による知性、国際的な視野の広さに圧倒された。人格も別格だったという。

 <人間的には神様に近いという感じだ。生涯、人を怒鳴りつけたりしたことはなかった。(盟友となる元首相の)田中角栄さんは「大平君は政治家というよりは宗教家だねえ、哲学者だねえ」と言っていた>

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