子・孫が語る昭和の首相

(5)「大臣は努力してなれるが、首相は銀座で財布を拾うようなもの」が大平正芳の口癖だった…婿、森田一氏インタビュー

【子・孫が語る昭和の首相】(5)「大臣は努力してなれるが、首相は銀座で財布を拾うようなもの」が大平正芳の口癖だった…婿、森田一氏インタビュー
【子・孫が語る昭和の首相】(5)「大臣は努力してなれるが、首相は銀座で財布を拾うようなもの」が大平正芳の口癖だった…婿、森田一氏インタビュー
その他の写真を見る (1/5枚)

 【出会い、人間像】

 --大平正芳との出会いは

 「大学3年生のとき。大蔵省を志望することになり、地元の香川出身の津島寿一さん(蔵相などを歴任)の紹介で会いに行ったのが最初です。大平も同郷であり、津島さんの秘書官を務めていました」

 --第一印象は

 「ちょうど夏で、浴衣姿におなか丸出しで出てきたので、ちょっと頭の悪そうな人だな、よく大蔵省に入れたもんだと思いましたよ(苦笑)。私が大蔵省で主計局に行きたいと言っていると、大平は『それよりも、国際金融局の方が国際情勢がわかって面白いぞ』といわれました。外交が好きなんだなあという印象を受けましたね」

 --大平は「哲人政治家」と呼ばれた

 「しょっちゅう本を読んでましたね。役所にいても来客の間に読書。お客さんがくるとやめるけど、お客さんが帰るとまた読書をしてました」

 --大平は「鈍牛」の異名がある。粘り強い政治スタイルでもあった

 「子供のころからです。がまん強くて、俊敏ではないけども、落ち着いて大人びている。若いころから『おとうちゃん』というあだ名でした」 

 --「あーうー」の発言が有名だ

 「大平は自分の発言が全国にどういう影響があるか、アメリカ、中国、ヨーロッパ、アフリカ、全世界に対してどういう影響があるか、それらを考えた上で初めて一言を発してました」

会員限定記事会員サービス詳細