家族 ハンセン病と生きて(2)

「おてんば」養女と格闘 100%の愛情…支え合う母娘 「孫」がくれた喜び 

【家族 ハンセン病と生きて(2)】「おてんば」養女と格闘 100%の愛情…支え合う母娘 「孫」がくれた喜び 
【家族 ハンセン病と生きて(2)】「おてんば」養女と格闘 100%の愛情…支え合う母娘 「孫」がくれた喜び 
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 「おとん、おかん」。平成13年、元ハンセン病患者の山内定(さだむ)、きみ江(81)夫妻の元に引き取られた杉山真由美(32)は、間もなく夫妻をこう呼ぶようになった。高校を卒業したばかりの真由美は当時18歳。夫妻が住む東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園(たまぜんしょうえん)」と、近くに借りたアパートを行き来する日々が始まった。

 「殺して死のうかと思ったこともある」。年頃の真由美は時にきみ江を悩ませた。夜遅くまで布団で誰かと電話をしているかと思えば、こっそりと部屋を抜け出し、午前10時ごろになって帰ってくる。「朝までどうしてたんだ」。きみ江は布団の上から真由美に馬乗りになり、問い詰めた。

 縛りつけるわけにはいかない、見守る方がいいのか…。苦悩の日々が続いた。

 「若い子の気持ちを知りたい」。きみ江は東京・上野で西郷隆盛像の周りに座りこむ少女たちに次々と声を掛けた。「家からそんな格好してるの? どこで着替えるの?」「林とかトイレだよ」。奇抜に見える服装と化粧の少女たちは、質問に丁寧に答えてくれた。きみ江が頼むと、行きたかった写真展の会場まで付き添ってくれた。

 「この子たちもみんなと同じ娘さん。外見で判断しちゃだめね」。そう思ったら、余裕を持って娘に向き合えるようになった。

 定はきみ江が嫉妬するほど、真由美を溺愛した。きみ江に内緒で、こっそり小遣いを渡すことも。定が甘い分、きみ江は厳しい母だったが、真由美が夕飯を食べる日は、決まってごちそうを用意した。

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