スポーツ異聞

テニスの憂鬱 厳罰化するルールと埋没する「個性」

門戸は開かれているか

 初夏のロンドン郊外で開催されるウィンブルドン選手権は最も権威と格式がある選手権で、他の四大大会とは違う「制約」を選手に科すことでも知られる。中でも選手のウエアに対する規制は最も象徴的だ(派手なウエアは今もNGである)。ところが、130年以上の歴史と伝統を誇るウィンブルドンにあって、革新的なチャレンジシステムは導入されている。まさに伝統と革新の融合である。

 米国バージニア州出身で、節度と礼儀を重んじたアーサー・アッシュが1975年、黒人選手として初めてウィンブルドンを制した。アッシュの歴史的な快挙から40年。男子テニス界でアッシュに続く黒人選手は数えるぐらいだ。競技自体の「閉鎖性」が黒人選手の台頭を妨げているということはないだろうか。

 テニスのルールの改正や細分化の背景には「観客あってのスポーツ」という考え方がある。しかし、「飽きさせない」という目的ばかりが優先され、人種や言語を超えた多様な「個性」がぶつかり合うスポーツ本来の妙味が損なわれているとしたら残念である。

 ルールの改正も結構だが、テニスの門戸を広げることにも目が向けられてほしい。

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