それぞれの70年 台湾から

日本の言葉、獄中の支えに

国民党統治下の戒厳令時代に使われた監獄で、ガイドを務める郭振純氏=4月17日、新北市新店区の景美人権文化園区
国民党統治下の戒厳令時代に使われた監獄で、ガイドを務める郭振純氏=4月17日、新北市新店区の景美人権文化園区

 ■「自分の道を歩め」「尊い汗を流せ」…

 台湾北部の新北市新店区に、台湾戦後史の負の側面を伝える施設「景美人権文化園区」がある。戦後38年間続いた戒厳令時代、政治犯を収容した監獄(看守所)だった。

 「28歳から50歳までの22年2カ月もの間、4カ所の監獄を回され、投獄されていた。弁護士、医師、教師ら日本教育を受けたエリートが狙われたのですよ」

 ボランティアガイドの郭振純氏(89)はこう説明する。

 70年前、敗れた日本に代わり、新たな台湾統治者となったのは、戦勝国となった蒋介石率いる中国国民党(中華民国)だ。国民党政府は38年もの間、戒厳令を敷き、反共産党の旗印の下、共産党とは無関係の知識人や、台湾独立を企てていると見なされた者を逮捕した。いわれなき罪で獄につながれた多くの人々が、拷問の末に処刑された。いわゆる「白色テロ」だ。「100人間違って殺しても1人を逃すな、という恐怖の空気」(陳水扁前総統)が台湾社会を包んだ。

 郭氏は先の大戦中、日本陸軍歩兵部隊に所属していた。彼ら元日本軍人も「敵国人」と見なされた。自身の経験した白色テロ時代を語りながら、施設内を案内してくれた。

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 「守るも攻めるも黒鉄の、浮かべる城こそ頼みなる…」

 終戦から1年半後の1947年2月28日。台湾のラジオに突然、戦時中に聞き慣れた軍艦マーチが流れ、「台湾人よ、立ち上がれ」という号令が日本語で放送された。国民党政府に反発する若者らがラジオ局を占拠したのだ。

 「2・28事件」だった。戦後やってきた国民党に対し、台湾人の不満が爆発したのだ。

 国民党の統治下、戦前はほぼ皆無だった警官らによる汚職や賄賂要求が、台湾社会にはびこるようになった。郭氏の家業である食品雑貨店では、高圧的な態度で値切られるのはまだマシで、支払いをしない客も少なくなかった。戦前統治していた日本人は礼儀正しく、支払わない客がいれば、警察が逮捕した。

 日本人が去り、国民党軍が来ることになったとき、歓迎する台湾人も多かった。だが、期待とかけ離れた現実を目の当たりにし、失望へと変わった。

 国民党への抵抗運動は全土に急拡大した。郭氏は当時21歳で、故郷・台南市にいた。三八式歩兵銃や日本刀を手に、40人以上の群衆と台南飛行場に突入した。飛行場職員らはすでに逃げた後だった。

 難なく占拠に成功したメンバーには、元航空兵もいた。日本軍が残した航空機で東京へ飛び、GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーに「台湾も占領下に置いてほしい」と頼もうと計画していた。

 だが、機体は部品が取り外され、使い物にならなかった。

 間もなく中国大陸から国民党の大軍が送り込まれた。1カ月の間に推定1万8千~2万8千人の台湾人が、銃撃戦や処刑などで殺された。郭氏は中国大陸に渡り、難を逃れた。

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 「白色テロ」時代、国民党は密告を奨励した。

 郭氏は1949年に台湾に帰ったが、4年後に逮捕された。先に逮捕された知人が、自身の刑を軽くしてもらうために「郭は独立運動をやろうとしている」と密告したのだった。

 取り調べでは、でっち上げの調書に署名するよう求められた。拒否すると、麻袋に入れられて水に落とされ、危うく命を落としかけた。砂糖水をかけた下半身にアリの大群をはわせられたのは非常に辛かった。

 それでも署名をするのは自尊心が許さなかった。1953年、強制労働を伴う無期懲役の判決を受けた。死刑は免れた。

 10畳程度の部屋にひどいときは20人が収容され、体を折り畳まないと寝そべることができなかった。

 出口の見えない監獄生活で正気を保てたのは日本語の読書と、母校・港公学校(台南市)の校訓だ。

 「自分の道を歩め」

 「尊い汗を流せ」

 「互に栄え共に生きよ(共存共栄)」

 教師に手をたたかれながら必死に覚えた言葉のおかげで心が折れなかった。1975年、蒋介石死去に伴う大赦で出獄した。こう振り返る。

 「日本人は台湾人を奴隷扱いするどころか、自分の道を歩めと教えてくれた。形としては植民地だが、立派な日本国民に育てようとした。欧米の植民地となって搾取されたアジア諸国に比べれば、僕たち台湾人は幸せだった」

 戦後、残酷な運命にさらされたため、日本統治時代がなおさら美しく見えるのかもしれない。

 その後、日本教育を受けた李登輝総統が誕生し、民主化を進めた。1996年には初の総統直接選挙もあった。台湾初の政権交代で総統に就任した民進党の陳水扁氏は、郭氏らの冤罪(えんざい)を証明する「回復名誉證書」を発行した。

 郭氏は3年前、ボランティアガイドを始めた。見学に訪れた若者にこう伝えている。

 「あの頃、台湾人の多くは黙り込んだ。人には、生命・財産を保障する人権があることを知らなかったか、人権を主張する勇気と知恵がなかったからだ。勇気と知恵があれば明るい社会になる」

 台湾では昨年3月、中国とのサービス貿易協定に反対する学生らが台北市の立法院(国会に相当)を占拠する「ヒマワリ学生運動」が起きた。親中政策を進める国民党・馬英九政権が昨年末の統一地方選で大敗する結果につながった。

 「若い人が勇気を持っていることの表れだと思う。台湾の未来にとって、とても大きな一歩だ」。郭氏はほほえんだ。(田中一世)