秘録金正日(23)

焼き尽くされた外国書籍や音楽テープ…粛清と正日流文化大革命の嵐

 「甲山(カプサン)派」粛清を決定した1967年5月の朝鮮労働党中央委員会4期15回全体会議は、北朝鮮体制が金日成(キム・イルソン)「唯一体系」へ変質していく出発点となる。「唯一体系」という言葉が初めて登場し、日成を「首領」と呼ぶようになる。

 粛清で中心を担ったのは体系上、党組織指導部だったが、実質的に指揮したのは26歳の金正日(ジョンイル)だった。同部中央指導課中央機関担当責任指導員の立場から標的を絞って任意で調査し、結果を日成に直接報告する。最高位幹部の誰を取り調べ、どう処理するかを決める権限を握っていた。

 「おべっかの基本は、へつらうべき相手の『敵』を人為的にでも創り出し、『敵』を攻撃することから始まる。正日はその方法を使った」。理論書記として日成の演説文を書いた黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)はこう説明する。

 自分が一番忠実だと見せ付けるため、正日は、日成の側近らの中で目を付けておいた人物に「忠実でない」とのレッテルを貼り、思想や無能さを口実に容赦なく攻撃し排除していったという。「正日は既に政治的影響力を行使していた。叔父の金英柱(ヨンジュ)を含め、除去しようとしているかのような印象を受けた」

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