作曲者は親日という史実
韓国語で「われわれの」を意味する「ウリ」とオリジナルをかけて呼ぶ「ウリジナル」には、すっかり慣れているつもりの小欄も、2009年の韓国紙報道には仰天した。れっきとした大学総長が、以下の主旨を主張したのだった。
《日本に上陸した朝鮮人・金(キム)氏が王国を造った。キム氏が日本の覇者=天皇となる。すなわち、キム家の世=君が代が始まる。皇統をたたえる歌は金家をたたえる歌であるので、君が代は朝鮮渡来と言ってよい》
あえて反論する必要もない詐話とはいえ、せめて「大日本帝國による韓国人従軍慰安婦の強制連行」の如く、一部欧米人を欺せる程度の工夫は欲しかった。その点、愛国歌制定の歴史は動かしようのない史実だ。
作曲者は名門中の名門、ウィーン交響楽団やベルリン交響楽団の指揮者を務めた安益泰(アン・イクテ)氏(1906~65年)。1921年に来日して旧制中学入学。後、東京高等音楽学院(現国立音楽大学)で学んだ。さらに米国やオーストリア、ハンガリーで研鑽を積み、35~36年ごろ愛国歌を作曲。48年の韓国建国の際、国歌に制定された。