ターニングポイント

日本初の週休二日制に込めた松下幸之助の思い…国際競争に勝ち抜くため仕事の効率求め、労働の評価が量から質へ

 計画では30年現在220億円の売上高を35年には800億円にすることを掲げた。毎年30%ずつ増やす野心的な構想。社内でも半信半疑で、800億円とかけて「うそ八百」と陰口をたたく社員もいたという。

 しかし幸之助氏は大阪府内にテレビ工場や洗濯機工場を建設するなど投資拡大に邁進(まいしん)。テレビ需要の拡大もあり会社は成長。計画を1年前倒しで達成した。

日本の働き方変えた

 「海外企業との競争に勝つには能率を飛躍的に向上させなくてはいけない。そのためには休日を週2日にし、十分な休養で心身の疲労を回復する一方、文化生活を楽しむことが必要だ」

 経営の土台を固めた幸之助氏は35年の経営方針発表会でこう述べ、週休2日制を5年後の40年から導入する方針を発表した。

 しかし労働組合は「そんなうまい話はない」と反発した。幸之助氏は、6日でやっていたことを5日で済ますため「10分かかっていた電話は3分にしろ」と効率化を求め「ただ2日休むわけではない」と述べ、1日はしっかりと休むが、残りの1日は自分を高める時間にあてる「1日休養、1日教養」と指針を示した。

 39年の東京五輪後の反動ともいえる不況で業績が悪化。実現が危ぶまれたが、幸之助氏は「うまくいかないときは松下がつぶれるときだ。日本の扉を開く気持ちでやる」と述べ、完全週休2日制を導入した。

 初めての休日となった40年4月17日の土曜日、幸之助氏は幹部を本社講堂に集め、こう訓示した。

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