日本人の座標軸(42)

「地上の楽園」と喧伝した北朝鮮の欺瞞…加担した「日教組」は許せない

足立勝美さん
足立勝美さん

 1959(昭和34)年12月14日、北朝鮮に向けた帰国船が新潟港から出航した。当時、北朝鮮と国交が成立していなかったから、朝鮮赤十字会などが実施した事業であった。

 1984(同59)年までに実に9万3340人が帰国したが、そのうち6839人は日本人やその子といった日本国籍を持つ人たちだったと伝えられている。こうした数字もさることながら、帰還船を見送る人たちで新潟港が埋め尽くされたことを、私たちの年代ならはっきりと覚えている。

 在日朝鮮人は朝鮮半島南部の人が多かったと言われていたから、その人たちにとっては異郷への帰還であったことになる。帰国船の費用は北朝鮮が負担したが、その後は、初代万景峰号が使われたのであった。

 この船は朝鮮総連の人や日本への工作員の送り込みにも利用されたとみられている。当時、北朝鮮は韓国より優位に立っていた。朝鮮動乱後、日本には「進歩的学者先生」と揶揄(やゆ)された人たちが多くいた。総じて彼らは靖国神社参拝に拒否反応し、遊就館を「戦争を美化する施設だ。撤去すべし」と主張した。私は彼らに問いたかった。「あなたたちは遊就館を時間をかけてごらんになりましたか」と。

 その後、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がないところ」などと宣伝した。それにだまされて帰国した人も少なくなかったであろう。忘れてはならないのは、それに呼応した進歩的文化人・革新政党・革新団体が繰り返し、北朝鮮の発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促したことである。特に北朝鮮を訪問し、賛礼した寺尾五郎の『38度線の北』は帰国希望者に大きな影響を与えたと言われる。

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