地方紙検証

川内差し止め却下 目立つ非科学的批判

 ■欠ける「原発ゼロリスク」の視点

 鹿児島地裁(前田郁勝裁判長)が4月22日、反原発派住民らによる九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)運転差し止めの仮処分申請を却下した。専門家によって見直された新規制基準を冷静に評価しており、合理的な司法判断といえる。だが、九州・山口の多くの地方紙は、非科学的な批判を繰り返したり、25日付時点で社説や論説の掲載を見送っている。(津田大資)

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 「説得力のある理性的判断だ」

 産経は社説にあたる「主張」(23日付)でこうした見出しを掲げた。

 鹿児島地裁の判断を「原子力規制委員会が定めた原発安全のための新規制基準にも、またそれに照らして適合性が認められた川内原発の安全対策にも不合理な点はないという理由に基づく決定だ。再稼働を大きく近づけた」と評価した。

 今回の決定によって、エネルギーの安定供給や火力発電所の燃料費による年間4兆円近い国富流出の抑制などにつながることに言及し、これらの不安を払拭する道筋ができたことを強調した。

 また、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)で運転差し止めの仮処分を出した福井地裁(樋口英明裁判長)の判断を「規制委や地震学者から事実関係の誤りを指摘する声が出ている。(中略)事実誤認に基づく仮処分であれば論外だ」と改めて批判した。

 読売も社説(同日付)で「新規制基準を尊重する妥当な司法判断である」と強調した。

 その上で、「決定で重要なのは、詳細な技術論に踏み込まず、『裁判所の判断は、規制委の審査の過程に不合理な点があるか否かとの観点で行なうべきだ』と指摘したことだ」と鹿児島地裁決定を評価した。

 一方、朝日は「専門知に委ねていいか」との見出しの社説(同日付)を掲載した。

 鹿児島地裁が新規制基準を「最新の科学的知見に照らしても、不合理な点は認められない」と判断したことに対し、「福島での事故は、専門家に安全を委ねる中で起きた。ひとたび過酷事故が起きれば深刻な放射線漏れが起きて、周辺住民の生活を直撃し、収束のめどが立たない事態が続く」と批判した。

 毎日も社説(同日付)で「政府は『新規制基準に合格した原発の再稼働を進める』と繰り返しているが、それでは、国民の理解にはつながらない」との論を立てた。

 ◆批判の大合唱

 九州・山口の地方紙には、高浜原発の福井地裁決定のように、朝日や毎日と同様の論調が目立つ。

 ブロック紙の西日本は、「福島事故を踏まえたのか」との見出しで社説(同日付)を掲載した。

 鹿児島地裁が新規制基準を評価したことについて「その判断に基づいて地震対策や火山の危険性などで住民側の主張を退けている。住民の素朴な不安や疑問は事実上置き去りにされてしまった」と批判した。

 また、福島第1原発事故以降、原発の在り方を問い直す判断が他にも出ていることを指摘。「鹿児島地裁の決定は、原発事故前の司法判断に立ち戻ったかのような印象を否めない。あの『3・11』の教訓をどこまで踏まえたのかという疑問が残る」とした。

 川内原発が地元の南日本も社説(同日付)で「東京電力福島第1原発事故の惨状を目の当たりにした国民の間に、原発に対する不安がいまだ根強いのも事実だ」、「申し立ての却下が、こうした不安に応える判断だったのか疑問が残った」と投げかけた。

 長崎は論説(同日付)で「住民が民事訴訟や仮処分の手続きに頼らざるを得ないと考えて行動しているのは、福島第1原発事故を経験した日本人の原発そのものへの不安と疑問の大きさを反映している」などと、新規制基準を根拠とする再稼働に難色を示した。

 これら地方紙に共通するのは、原発に対して国民が抱く不安に焦点を当て、情緒的な批判や疑問の呈示を繰り返している点だ。

 そこには、低廉で安定したエネルギーが失われることによる経済的打撃、電力不足で脅かされる命すらあることに全くと言ってよいほど触れていない。

 現実的な視点を示した地方紙もある。山口だ。

 高浜原発の決定を出した福井地裁の樋口裁判長が、昨年5月にも関電大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の訴訟の判決で運転差し止めを命じていることに対し、「絶対安全論に立って、『結論ありき』のやや心情的な判断が目立つ。一部で事実誤認も専門家から指摘されていた」とした。

 ◆生きていた司法

 日本のエネルギー自給率はわずか4%である。

 脆弱なわが国のエネルギー構造を考えれば、その政策のあり方は国民の生命に直結するだけに、高度な政治判断が求められる。

 専門的知見を持たない裁判所が独自の基準を用いた判断を示せば、国のエネルギー政策に大きな混乱をもたらしかねない。否、現に福井地裁がすでに混乱の種を蒔いている。

 現在、原発の運転差し止めなどを求めた訴訟や仮処分申請は、全国で20件以上に上るとされる。鹿児島地裁の判断は、こうした混乱に一定の歯止めをかける意味でも、現実的、合理的な決定だといえよう。

 司法と行政に関する考察を深める上で、示唆的な発言がある。

 「裁判所が立法、行政よりも先回りして意見を開陳することは原則としてするべきではない」

 三好達元最高裁長官が平成7年、長官就任のあいさつで語ったとされるもので、司法は行政、立法への介入に常に慎重であるべきとの考えを示している。

 福井地裁は生命や身体など個人が生活する上で保護されるべき権利を指す「人格権」を根拠に、関西電力に原発のゼロリスクの証明を迫った。

 こうして混乱しかけた国のエネルギー政策に関する鹿児島地裁の判断は、原告側に人格権の侵害についての科学的な挙証責任を求めることで、訴訟の乱発に一定の歯止めをかける効果を与えたといえる。

 多くの地方紙に、こうした視点での冷静な論評が見られなかったのは残念だ。

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