文芸時評

ファイアウォールとしての文学 5月号 早稲田大学教授・石原千秋

 大学入試において「人物評価」を重視しろという文部科学省のお達しも同じだ。「人物評価」を加味した新しい大学入試制度はいまの中学2年生から適用される。そこで、いま中学校ではボランティアサークルが大賑(にぎ)わいだと言う。ボランティア経験が大学受験のための標準資格になることは目に見えている。大学入試においてそれまでの努力が報われるのはよいことだ。しかし、大学入試が「人物評価」一色に染め上げられるとしたら、その方が不気味だ。大学入試の意義は、この学歴社会においてそれまでの人生をリセットできる点にもある。階層ジャンプができる数少ない機会でもある。「明るくふつうで正しい」大学生ばかりにならないために、一発勝負の大学入試枠もかなりの規模で残しておかなければならない。

 この意味で、「早稲田文学」(春号)が特集「悪から考える『超道徳』教育講座」を組んだのは時宜に叶(かな)っている。インパクトのある文章はあまりないが、千葉雅也の「現代において文学の特権性は薄まったとしても、この接続過剰な状況、どんどん記録がシェアされて炎上する状況で、語りに『これは小説です』というタグをつけることは、ファイアウォールの一種として機能するかもしれない」(鼎談(ていだん)「『後ろ暗さ』のエコノミー」)という発言が、文学が置かれた社会的な位置を正味のところで言い当てているかもしれない。

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