自衛隊が初めて海外での任務に投入されたのも、機雷掃海活動だった。
湾岸戦争終結後の平成3年、海上自衛隊はペルシャ湾掃海派遣部隊を送り込んだ。当時はすでに他国海軍が活動しており、遅参した自衛隊に割り当てられた掃海区域は「最も危険で難しい場所しか残っていなかった」(海自関係者)という。過酷な条件下で海自部隊は約3カ月間に34個の機雷を無事に処分し、他国海軍から高い評価を受けた。
安倍首相が「高い掃海能力」を誇るのは、このときの経験も裏付けとなっている。ただ、防衛省関係者は「当時の海自部隊は装備面では他国に劣っていた面もあった」と指摘する。特に、水中に潜って爆雷を投下する装置にはカメラが付いておらず、水中処分員が目視で機雷を確認せざるを得なかったという。
海自が装備の遅れをカバーできたのは、先の大戦の遺産によるところが大きかった。
終戦当時、日本周辺海域には旧日本海軍が防御用に敷設した機雷約5万5000個のほか、米軍が敷設した約1万700個の機雷が残っていた。主要航路の掃海は昭和40年代後半まで行われ、現在も港湾工事前の磁気探査で機雷が発見されることがある。これを処理してきた海自の経験が、精密で効率的な掃海能力を培ってきた。