戦後70年

元乗員 種村二良さん(90) 「近くでラッパ吹けばきっと届く」 埼玉

 「神社参拝などで欠かさず吹いた『国の鎮め』で英霊に感謝の気持ちを伝えたい。近くでラッパを吹けば、きっと届くと思う。これは最後の機会かもしれない。体の動くうちに慰めてあげたい」

 フィリピンでの戦艦「武蔵」洋上慰霊祭に団長として参加する元乗員、種村二良さんは、旧日本海軍の軍楽隊員。当時はアルトホルンの担当だったが、生計を立てるため、退役後に腕を磨いたトランペットを現地に持参する。

 初めて武蔵に乗り込んだのは、連合艦隊の旗艦が戦艦「大和」から武蔵に変更された昭和18年2月。旗艦が軽巡洋艦「大淀」に移される翌19年5月までの1年余、武蔵は寝泊まりする自宅でもあった。

 上陸したミクロネシアのトラック島から戻る際に真正面から見た武蔵は、どっしりと構えた姿が「ガマガエルのよう」だった。居住区は右舷の兵員室で、すぐ隣の冷蔵庫には製氷機もあった。「生鮮食品もよく出し入れしていて、世界一の技術が詰め込まれていた」と振り返る。

 軍楽隊員として艦隊全体の公式行事で奏楽した。武蔵の甲板では昼食時、連合艦隊司令長官がスプーンを持った瞬間に演奏を開始するという決まりがあった。戦死した山本五十六長官を本土に運ぶ際には、幕僚室の前の通路に線香の香りが漂っていたことも覚えている。

 今年3月、ネットで公開された武蔵とみられる船体の映像を自宅で見た。船体には海藻がつき、船首にあった菊の御紋は外れてしまっていた。「懐かしいというよりも静かに眠っているようで悲しかった」。70年の時を経て、さまざまな思い出がよみがえる。

 「日本がここまで栄え、平和なのは仲間の犠牲があったからこそ。おかげで長生きさせてもらった。久しぶりに旧友に会いに行くような感じ」と気持ちは高揚している。

 慰霊祭では「国の鎮め」のほかにもう1曲吹くつもりだ。「みんなが知っている童謡がいい。『夕焼け小焼け』であれば故郷を思い出してもらえるかな」(川畑仁志)

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