歴史事件簿

パールハーバーの誤算(3) 「トラ・トラ・トラ」奇襲するも米空母は不在…「宣戦布告文書」の遅れだまし討ち印象づける

 日本時間の昭和16(1941)年12月8日未明、ハワイ近海に迫った日本の機動部隊から発艦した約180機の一波攻撃隊は低空でハワイに侵入後の午前2時52分、奇襲攻撃成功の電文「トラ・トラ・トラ」を発信した。完全に虚を突いて襲った日本機は停泊中の戦艦や飛行場に壊滅的な打撃を与える。ところが、最大の攻撃目標だった米空母がいない。しかも攻撃30分前に出る予定だったアメリカへの宣戦布告が遅れたことを知った連合艦隊司令長官の山本五十六(いそろく)大将は華々しい戦果に沸く中、複雑な表情を見せたのだった。

トラ・トラ・トラ

 現地時間で7日午前5時55分(日本時間8日0時55分)、日本の機動部隊がアメリカ太平洋艦隊が停泊する真珠湾まで約460キロに迫ると、淵田美津雄中佐率いる第一波攻撃隊を発進させ、7時5分には島崎重和少佐指揮の第二波攻撃隊約170機が続いた。

 この日は穏やかな天候だったが、一面に広がった厚い雲が攻撃隊をいらだたせた。ハワイ放送局から流れるハワイアンをたどり、正確な計算の上で向かってはいたものの、なんせ海も島も見えないのでは少し心もとない。

 淵田が「そろそろハワイ上空のはず」と思った、そんな瞬間だった。ばっと雲の切れ目を見つけると、そこから見えたのが目標のハワイ・オアフ島だった。湾内に2列になって停泊する戦艦群も見えた。当時、真珠湾には戦艦8隻を含む94隻が停泊していた。

 第一波攻撃隊は島の北端のカフク岬から低空で島に侵入すると、海岸沿いに進みながら6方向にわかれ、それぞれ湾と飛行場に向かった。

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