【本郷和人の日本史ナナメ読み】(61)「新田は源氏」知らなかった家康(2/4ページ) - 産経ニュース

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本郷和人の日本史ナナメ読み

(61)「新田は源氏」知らなかった家康

この時、正親町(おおぎまち)天皇は「先例なきことは公家にはならず」として、勅許を渋った(陽明文庫所蔵の近衛前久(さきひさ)の書状)。著名な近世史研究者である笠谷和比古さんは、この事態を「松平から徳川への改姓は先例がない」と解釈し(「徳川家康の源氏改姓問題」、国際日本文化研究センター紀要「日本研究」16、平成9年9月)、ネット上の関連記事などはみなこれに倣っています。でも中世史研究者で朝廷の史料をまともに読んでいれば、笠谷説が誤読(笠谷さんほどえらい研究者なら、名を挙げて批判しても構いますまい)であることは直ちに分かります。

朝廷は源平藤橘(げんぺいとうきつ)を代表例とする「姓(かばね)」で人を認識する。名字はどうでもいいのです。家康が松平だろうが、徳川だろうが、それは知ったことではない。たとえば上級貴族の今出川晴季(はるすえ)は菊亭晴季も名乗りますが、朝廷は「あんたさんは藤原晴季さんどすやろ。名字は今出川でも菊亭でもかましまへんえ」というわけです。ただし、姓は勝手には変えられない。たとえば鎌倉幕府に仕えた「中原」広元は公卿(くぎょう)への昇進を願って「大江」に姓を変える(中原で公卿になった人はいなかったから)のですが、これには勅許が必要だったのです。