南山(ナムサン)高等中学校(高校)を卒業した金正日(キム・ジョンイル)は1960年9月、金日成(イルソン)総合大学に進学する。当時、高級幹部の子弟のほとんどがソ連に留学したが、正日はきっぱりと拒否した。
正日は高校在学中の59年1月、ソ連共産党第21次大会に参加する父に連れられ、モスクワを訪問した。党中央書記室理論書記として同行した黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)によれば、モスクワ大学を訪れた際、留学を薦めるソ連側朝鮮担当課長に、正日はこう憤然と告げたという。
「平壌にも金日成総合大学という立派な大学があります。私は金日成総合大学で勉強するつもりです」
このときの訪露で初めて正日に接した黄は、会話を交わすうち、「若年ながら、既に政権欲が強く、父親に仕えることにとりわけ大きな関心を寄せていた」と感じたという。
バイクにまたがり、けたたましく
大学で金正日は、高校時代の先輩、李鐘赫(リ・ジョンヒョク)や高校からの友人、李洙●(=土へんに庸)(スヨン)のほか、崔庸健(チェ・ヨンゴン)の娘ら高級幹部の子女との交友関係を保った。