東日本歴史事件簿

日銀3万円紛失事件(下)9年後に逮捕された男は「豪遊」でアシがついた…しかし時効で罪に問われず

【東日本歴史事件簿】日銀3万円紛失事件(下)9年後に逮捕された男は「豪遊」でアシがついた…しかし時効で罪に問われず
【東日本歴史事件簿】日銀3万円紛失事件(下)9年後に逮捕された男は「豪遊」でアシがついた…しかし時効で罪に問われず
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 大金が紛失した上に、行員に死者も出た明治36年12月の日本銀行3万円紛失事件。その後も大金の行方は知れず、窓口を担当する出納局の関係者は、主席の戸塚経(47)が死亡。次席の林録太郎は辞職し、現金を扱っていた大野修二(同28)、服部清久(同22)の両人は免職。大野は逮捕され、予審まで開かれたが免訴となって出獄。事件から9年がたち、世間からも忘れ去られていた大正元年9月5日、犯人が明らかになった。

200円を下ろしに日銀を訪ねた男

 警視庁で犯行を自白したのは、浅草公園5区の銘酒店「千代本」を営む和田清次郎の次男、和田豊次郎(28)。事件のあった明治36年12月28日午前10時、日本橋区葭町(よしちょう=現中央区日本橋人形町)の糸商・佐竹商店での奉公でためた金で買った5分(%)の金利付き軍事公債100円券2枚を払い戻そうと日銀に来ていた。ちょうどそのとき、浅草銀行の用度係、荒井数居が信濃銀行の振り出した3万円小切手を払い出すために来ており、主任の戸塚経、次席の林録三郎が、窓口の大野修二に10円紙幣で2万円、5円紙幣で1万円の計3万円を渡した。

 大野が取り扱い窓口で荒井の名を呼んだが応答がないのを聞きつけた豊次郎。人混みを幸いと出来心を起こし、自分が浅草銀行の使いですと言いながら「3万円」を横領した。

 まんまと大金をせしめた豊次郎だが、そのまま使えば記号から足が付くと考えて横浜に行き、横浜正金銀行(東京銀行を経て三菱東京UFJ銀行)で2190円だけ第百銀行(三菱銀行を経て三菱東京UFJ銀行)宛ての為替を組んだ。偽名は、日本橋区本石町の松本啓太郎とした。

 早速、帰京して第百銀行で現金を受け取ろうとしたが、他に同姓の人が先に名乗り出て行員と話しをしていたので、尾行してきた刑事ではないかと思い、そのまま金を取らずに去り、残る2万7810円は、家人の隙をうかがいながら、自宅の床下に埋めた。

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