戦後70年

特攻(5)九九式襲撃機別れの旋回、妻はうずくまった…「特攻の美化、たまらなく不安」

航空機の前に立つ伍井芳夫大尉。最後の言葉は「人生の総決算 何も謂うこと無し」(次女の臼田智子さん提供)
航空機の前に立つ伍井芳夫大尉。最後の言葉は「人生の総決算 何も謂うこと無し」(次女の臼田智子さん提供)

 九九式襲撃機が突然、飛来した。昭和20年3月27日午前8時半ごろ、埼玉県桶川町(現桶川市)の上空。襲撃機は高度を下げると、1軒の民家の屋根と接触しそうなほどの低空飛行で3回旋回した。風防ガラスを開け、手を振る操縦士の姿があった。その後、別れを告げるように翼を左右に振ると、西の空に消えた。

 操縦桿(かん)を握っていたのは、5日後の4月1日に第23振武(しんぶ)隊の隊長として鹿児島県の知覧飛行場を出撃し、沖縄近海で戦死した伍井芳夫大尉=当時(32)、戦死後中佐=だった。

 自宅上空の旋回は時間にして数分。その間、妻の園子さんは家の中でうずくまり、両手で耳をふさいで襲撃機が飛び去るのを待っていた。当時、特攻隊員の妻は夫の出撃を胸を張って見送ることが務めだったといわれる。

 次女の臼田智子さん(71)は言う。「送り出す側と送られる側、ともに心の中で激しい葛藤があったと思う。軍神の妻として人前で乱れることは許されなかった時代でしょうが、母は毅然(きぜん)としている自信がなかったのでしょう。別れのつらさと、それを人に見せられないつらさが相まって、姿を見せることができなかったのでしょう」

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