話の肖像画

演出家・蜷川幸雄(79)(2)商業演劇に進出して

〈高校卒業後、画家を目指し東京芸大を受験するが失敗。俳優を目指し昭和30年、劇団青俳に入る〉

高校時代、友達と文学座の支持会員になって、アトリエ公演をよく見ていた。ほかに山本安英さんのぶどうの会とか。だから芸大に落っこちた後、俳優になったんです。

でも(劇作家の)清水邦夫に「ひどい俳優だった」って言われるほどで、自分でも下手と分かっていた。唐十郎や清水の戯曲を読み、「自分が演出家なら、自分みたいな個性のない俳優、出さない」と思ったんです。自分を客観視できた。そういう意味では演出家的なんです。

〈当時、所属していた劇団青俳は、木村光一さんら外部の演出家に演出を依頼していた〉

でも外部の人は、結局自分の劇団に帰っていく。だから「僕に演出させてください」と手を挙げたんです。でも「いい俳優でなければ、演出家になれない」と言われた。じゃあ、自分で劇団を作って演出家になろうと。石橋蓮司や女房(女優の真山知子)、蟹江敬三らを誘った。だから、演出家になったことに理由はないんです。面白い芝居をやらないから、僕がやろうっていう妄想しかなかった。

〈43年に現代人劇場を結成。翌年、清水邦夫作「真情あふるる軽薄さ」で鮮烈な演出家デビューを飾る〉

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