話の肖像画

女子高校生サポートセンターColabo代表 仁藤夢乃(3)渋谷の少女たちのために大学へ

〈自分自身が東京・渋谷に居場所を求める「難民高校生」だった。私立の中高一貫の女子校に進学したが、父親の単身赴任を機に母親とぶつかりあうようになった〉

母は仕事をしながら私と妹の子育てをしていました。まじめな人だったので全部背負い込んでしまい鬱病になりました。そんな母と顔を合わせないように夜中に帰宅し朝遅く起きるようになりました。両親が不仲になり、離婚の相談が始まって家族の会話ができなくなりました。

中学1年生のときはまじめな生徒だったと思います。合唱部に入って集会で歌ったり、広島で平和について考えるツアーにも参加したりしました。中学2年生のころから他校の男子高生と遊び始め、「もっとかわいくなりたい」と化粧をし、茶髪にしました。校則違反を注意する先生や親に反抗するうちにだんだんと居場所がなくなった。「自分は誰からも期待されていない」と感じ、渋谷に行っては仲間とプリクラを撮ったり、カラオケに行ったりして遊んでいました。

〈ビルの屋上や公園で段ボールを敷いて寝たり、ファミリーレストランで一夜を明かしたりしたこともある〉

風俗、妊娠、中絶、DV(ドメスティックバイオレンス)、オーバードーズ(薬物の過剰摂取)、リストカット…。そんな経験を持つ子がたくさんいましたが、「渋谷に行けば誰かがいる」という安心感がありました。オール(徹夜)明けに電車で通学途中の高校生と会う度に心が痛んだけど、どうしたらいいか分からなかった。仲のいい女友達の前では「もうやだ」「死にたい」といってはわけも分からず泣いていました。

〈高校2年生で中退。大手予備校の高等学校卒業程度認定(高認)試験のコースに通い、4カ月後に合格。明治学院大学に進学し、ボランティアサークルに入った〉

予備校でも初めはやりたいことも夢もなく、勉強に身が入りませんでしたが、そんなとき、週1回の「農園ゼミ」で講師の阿蘇敏文さんに出会いました。どんな生徒にも正面から向き合い、いつも「なんで」と聞いてくる人だったので自然と頭の中が整理されました。阿蘇さんと旅したフィリピンで同年代の女の子が日本人男性に買春されていく姿を見て、渋谷でも同じことが起きていると思いました。「生活に困っている子に他の選択肢を持って生きることができるようにしたい」と大学に進学し、海外の貧しい子供たちを支援する活動をしていました。

東日本大震災で宮城・女川に行き、東京と同じように孤立している子がいることに気付きました。そこでColaboを立ち上げ、女川高校生と地元企業と一緒に「支援金付大福」を開発し、3カ月間で3万3700個を売り上げました。大学を卒業したら少女に関わることをしたいと思っていたので、法人化して本格的に活動を始めました。(聞き手 池田証志)

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