神武・海道東征 第2部

大和思慕(2)真清水に重なる中庸の御心

【神武・海道東征 第2部】大和思慕(2)真清水に重なる中庸の御心
【神武・海道東征 第2部】大和思慕(2)真清水に重なる中庸の御心
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 「ここは台地ですが、湧き水が豊富で農業用水に困ったことがない。だから座論梅(ざろんばい)もあれだけ立派に育ったのでしょう」

 湯之宮神社(宮崎県新富町)の副総代、関浩志氏が話す座論梅とは、高千穂宮を出発したカムヤマトイハレビコノミコト(神武天皇)が、最初の軍議を開いたとされる地に咲く白梅のことである。名前の由来は江戸期、佐土原藩と高鍋藩がこの梅林の所有を争い、座して議論をしたこととされる。しかし地元では、イハレビコの残した梅林として有名だ。梅林の説明板にはこう書かれている。

 〈神武天皇が行幸し、湯あみして梅の枝をついたところ、座論梅ができたという言い伝えが記録されています〉

 梅林は元は1株だった。そこから枝を地面に着け、根と新芽を出して株が増えた。現在は80株。その生命力への驚きが、伝承につながっている。

 県道をはさんで座論梅に隣接する同神社には、イハレビコが湯あみをしたと伝わる御浴場之跡がある。今は清水が湧くだけだが、透明度が高く、見るからに清らかだ。

 「近くには湯風呂という地名も残っているから、昔は湯が沸いていたのでしょうし、イハレビコは身を清めるために漬かられたのでしょう」

 そう話す同神社の本部雅裕宮司は、イハレビコが高千穂宮をたって最初の宿泊地にこの地を選んだ理由をこう推測する。

 「山懐にありながら、穏やかな道が続く。江戸時代には大名行列の往来にも使われた道ですから、東征は中庸の気持ちで始められたのではないかと思います」

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