今から150年前の1865(元治2)年正月2日、高杉晋作は奇兵隊らを率いて馬関の要衝を占拠、長州の藩政を徳川幕府に対抗するものに変更するように要求、2月末には実現する。江戸の幕府から見れば「一地方の細事」だったろうが、これから幕末維新の動乱が始まり、3年のうちには国全体の倫理と体制が一変する。
この例に限らず、時代の大きな変化は、地方の動きから始まるものだ。
《地域安定・振興の論議の場》
「時代」が古び産業が振るわず、財政が借金頼みの破綻状態になると、人口は都に集中し地方は極端に衰退する。それにも拘(かかわ)らず、中央の官僚たちは前例踏襲の規制維持に安住し、地方の行政官は中央の指示にのみ従う。それが地方行政の安全で安易な道だと考えられているからである。
江戸時代の末期も、第二次大戦に向かう昭和10年代にも、そんな状態が生まれていた。
第二次大戦後の制度では、そんな中央集権・地方追従型の政治行政を避けるために、地方自治体の首長を選挙で選ぶ公選制にし、都道府県と区市町村の2段階の地方議会を設けて行政と予算を監視監督し、政策アイデアを練らす機関とした。