大坂の陣400年

幸村と並ぶ英雄、後藤又兵衛 「大坂五人衆」の一人…希代の軍師官兵衛仕込みの武勇と知略 

高倉健さんのような日本人好みの…

 「豪傑といっても荒々しくはなく、冷静沈着な人物だったのではないか」。大坂夏の陣で戦死した後藤又兵衛から数えて20代目の子孫、後藤基保(もとやす)さん(59)=兵庫県加西市=は、又兵衛の実像をこう思い描く。

 豊臣家が滅んだ大坂夏の陣の後、又兵衛とともに参戦した長男、左門基則は自害。徳川家が武将の残党狩りを行う中、当時5歳だった左門の次男、徳治は左門の妻の実家に預けられる。やがて刀を捨て、現在の加西市全域に匹敵する36カ村を管轄する庄屋の主人として世をまっとうした。

 その子孫の基保さんは金属加工油剤メーカーのサラリーマン。大柄でがっしりした体格で、威厳のある風貌だ。六尺(約180センチ)を超える巨体で長槍を自在に操ったという又兵衛をほうふつさせるのか、「周囲から『又兵衛と顔も似てるねえ』と勝手に決めつけられる」と苦笑する。

 とはいえ、「血」を実感することも少なくない。

 「仕事先で200キロのドラム缶を持ち上げて驚かれたりね。ゴルフは今でも300ヤードは飛ぶ」

 性格も一本気な又兵衛ゆずり。会社の会議で誰もが言いたくても口に出せないことをさらっと言う。「又兵衛の血が騒ぎますか」。そんな決まり文句が返ってくる。

 「又兵衛のおかげで歯にきぬ着せぬ言葉も丸く収まる」

 ただ、実際の又兵衛は、豪傑にありがちな無鉄砲さはなく、軍師然とした冷静沈着な人物だったとみる。

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