東京電力福島第1原子力発電所事故で発生した汚染土などの中間貯蔵施設への搬入が予定されている福島県双葉町。その今を残そうとカメラを回し、映像を撮り続ける茨城大大学院生がいる。商店街の看板、部活で汗を流したグラウンド、たまり場だったコンビニエンスストア-。少しずつ、刻々と変わっていく街の風景と人々をいとおしむように撮影し、一つの作品にすることで故郷の現実と向き合おうとしている。(緒方優子)
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「この町で、一番の思い出は何?」。カメラを構え、問いかける。液晶モニターの奥には霧にかすむ山影と雑草の生い茂った畑、手前には白い防護服に身を包んだ親友がたたずむ。
◆町民らにインタビュー
「ここはみんなにとって懐かしい場所だから、撮っておかないと」。茨城大大学院1年、小野田明さん(24)=水戸市=は2月下旬、関西に住む幼なじみとともに中学校や通学路、商店街などを歩き、映像に収めた。震災翌年の12月から約2年間、毎月1回の一時立ち入りの際に撮影を続け、合間に全国各地に避難する町民ら約150人にインタビューを重ねてきた。
会社員の父と町役場職員の母のもとで、高校卒業までを過ごした双葉町。原発事故直後は現実を直視できず、1年後、逃げるように留学したイギリスで福島をテーマにした映像制作に携わり、故郷について何も知らない自分に気付いた。
「双葉は、今、どうなっているのか」。留学を半年間で打ち切り、帰国したその足で撮影用の機材を買いに行った。
バリケードの先の故郷では、商店や住宅の外壁は崩れ、雑草が生い茂り、野放しになった家畜が道路をさまよっていた。それでも、端々に残る故郷の面影が「懐かしかった」。同級生、恩師、コンビニの店長、近所のおじいちゃん…。小さな町の日常を穏やかに彩っていた顔ぶれが次々と頭をよぎった。「みんな、どうしてるかな」。それが、インタビューを始めたきっかけだった。
大学4年生だった平成25年12月、撮りためた映像を30分間に編集して上映会を開くと、町民からも大きな反響があった。「みんなの顔を見て、安心した」「町の将来を考えるきっかけになった」。そんな声を励みに、大学院に進学して撮影を続けることを決めた。
◆汚染土の搬入準備
その後も状況は日々変わっている。恩師が熱心に整備していた母校のグラウンドでは、まもなく除染廃棄物を一時保管するための準備が始まる。中間貯蔵施設への汚染土搬入が始まれば、撮影ができなくなる場所もある。
だからこそ、「自分たちが生きてきた双葉という町を記録し、知ってもらいたい」。映像は今年、一つの長編作品にまとめて公開するつもりだ。